東京都八王子市の建設会社・ワーキングスタイルです。
弊社はリノベーション、塗装断熱、架設重量、電気工事など幅広い事業を扱い、建設工事のワンストップサービスを提供しています。
今回は社員の師岡に、ワーキングスタイルでのこれまでの多様な働き方について話を伺いました!
師岡はワーキングスタイルでアルバイト→1人親方として独立→機会設置課の課長としてワーキングスタイルに出戻り→交通事故で休業→休業中に大病を患って退職→営業管理課として再びワーキングスタイルに復職という、実に波乱万丈の人生を歩んできました。
さまざまな働き方を経てきた師岡だから言える仕事の楽しさと厳しさ、ワーキングスタイルとの関わりの中で感じてきたことなどを率直に語っているので、どうか最後までお読みください!
ー師岡さんはワーキングスタイルとの付き合いが長いと聞きました。
長いですね(笑)。ワーキングスタイルの設立が2008年になりますが、実はその前から堂垣社長とは友人関係にあったので、それも入れると20年以上関係が続いていますね。
ワーキングスタイルの立ち上げの時は、自分はたまたま他の会社の仕事をしていたので初期のメンバーではないのですが、程なく堂垣社長に誘われてワーキングスタイルに仲間入りしました。
ー最初はアルバイトだったとか。
そうです、最初はアルバイトとして入社しました。というのも、当時はいくつか仕事を掛け持ちしていたので、その中の一つとしてワーキングスタイルの仕事があったという感じですね。
ーアルバイトとして経験を積んでから、一人親方として独立したのですね。
はい。アルバイトとして2年くらい経ってから一人親方として独立しました。独立と言っても、これもワーキングスタイルからの提案で、自分の裁量でやれるように独立採算制でやるような形にしたという感じですね。自分も建設業での経験がそれなりに長くなっていたこともあり、親方として現場を取りまとめることには抵抗がなかったので、独立というのは挑戦でもありますがやれる自信はありました。
ーとはいえ、一人親方は経営者みたいなものなので、それなりにプレッシャーもあったのでは?
数名の職人を下につけて現場をまわしていたのですが、その職人たちがあまりガツガツしていなくて、「仕事がある時に声をかけてくれればいいよ」って感じだったので、「彼らを食わせないといけない!」というプレッシャーはあまりなかったですね。
ーみんなのために稼がなきゃ!というプレッシャーがないのはありがたいですね。
はい、それは本当にそうでした。ただ、やはり経営者として仕事をとらなくちゃいけないという気持ちはあったので、電話に関しては過剰に反応していましたね。当時は夜間の仕事も積極的に受けていたいので夜中でも電話がかかってくるんですよ。しかし、さすがに全ての電話に対応できるわけでもないので、寝ていて電話を取り損なった時には「仕事を逃した〜!」って後悔していました。そのような意味でのプレッシャーというか落ち着かなさみたいなものはありましたね。なので、今でも夜の電話には無条件に反応してしまいますよ(笑)
ーなるほど。それは確かに落ち着かないですね。そして一人親方から再びワーキングスタイルに戻ったとのこと。
はい、そうなんです。一人親方としてのプレッシャーから解放されたいというより、結婚して子どももできて自分のライフステージが変わったから、月々の決まったお給料や社会保険なんかも含めて「そろそろちゃんとしなきゃ」って思い、社員として会社に入る選択をしたのです。
ーそうなると、今度はアルバイトではなく社員としてワーキングスタイルに戻ったのですか?
そうです。本当にありがたい話なんですが、堂垣社長は自分のために「機会設置課」という部署を立ち上げて、その課長としてのポジションまで用意してくれたのです。
ーなんと!至れり尽くせりですね!機会設置課というのは、具体的にどのようなことをやるのですか?
その名の通り、重量のある機械等を現場に設置するのですが、具体的にはアミューズメント施設のゲーム機の搬入などがそうですね。営業時間外にやるので夜間の作業が中心となりますが、一人ではなくチームとしてやるので孤独な作業というわけではないですよ(笑)
ーその後は機械設置課の課長として、しばらくご活躍されるのですか?
その後は順風満帆と言いたいところですが、実はある時交通事故に遭いまして、しばらく療養生活になってしまったのです。

ーそれは大事故ですか?
はい。数ヶ月入院して、その後も一年半くらいは療養生活でした。怪我自体は順調に治癒されていったのですが、やりたいことをやれないストレスから生活が乱れ、療養中の不摂生がたたって今度は内臓を悪くしてしまったのです。結局それでまたしばらく療養生活になりました。
ー療養生活はその後どれくらい続いたのですか?
怪我の療養が1年半くらいで、内臓疾患の療養がさらに2年くらいかかりましたね。自業自得なのでさすがにこの時は反省し治療に専念しました。
ー長い療養生活となったわけですが、ワーキングスタイルは一回辞めたのですか?
事故に遭って最初の療養生活になった時は、休業給付などを受けることができたので社員のままでいられたのですが、長期化することになって給付期間も切れてしまったので、一旦会社を辞めることにしました。いつまでも休業扱いにしていると保険料などを支払うことになってしまうので、一回辞めることは自分が損をしないようにとの提案だったのだと思います。
ー社員ファーストの視点ですね。そうなると、現在の師岡さんは、内臓疾患の療養を終えてからの復活ということですね。
そうなんです。事故に遭ってからの数年は自分の人生においても本当に不遇だったと言うか、もちろん自分の弱さもあるのですが思うように物事が運ばなかったので、今こうやって再びワーキングスタイルで仕事ができることは嬉しく思います。
ー大病を患った後なので昔のような重量物を扱うお仕事はできないと思うのですが、今のはどのようなお仕事をやっているのですか?
これまたありがたいことに営業管理課にポジションを用意してもらい、今は内勤の仕事をさせてもらっています。
ー社員が会社に合わせるのではなく会社が社員に合わせているみたいですね。社員ファーストが徹底しているのだと思います。
体が元に戻るまでは内勤で、やがて現場に戻ろうとは思っているのですが、最近では内勤の楽しさも少しずつわかってきたので複雑ですね(笑)
自分はもともと勉強が大嫌いで机にずっと座っていることもできない性分なので、ぶっちゃけ最初は辛かったですよ。最初はパソコンも使えないのですぐにイライラしていましたが、みんなが根気強く教えてくれたので、少しずつ使えるようになってきました。
ー師岡さんはアルバイト、一人親方、社員と、さまざまな形でワーキングスタイルと関わってきましたが、それぞれにどのような良さ、または課題がありましたか?
まず、アルバイト時代はとにかく与えられた仕事をこなせばいいという感じだったので、責任感やプレッシャーはなかったのですね。
一人親方の時はやればやるだけ稼ぐことができたので、それがやりがいでもありプレッシャーでもありました。職人を食わせるために頑張らなければいけないというプレッシャーではなく、電話に出れなくて仕事を取りこぼすわけにはいかないというプレッシャーでしたね。
しかし、その後怪我やら病気やらで自分の人生をじっくり考えるようになって、再びワーキングスタイルに戻ったわけですが、今はただこれまでの恩を返したいという気持ちでやっています。自分がどのような状態の時も受け入れてくれたワーキングスタイルという会社は、面倒見が良いというレベルではなく、本当に親身になって社員のことを考えてくれる情に厚い会社なのだと思います。
ー師岡さんにとってワーキングスタイルはどのような会社ですか?
昔ながらの友人も多くいるのでリラックスして働くことができますし、そうじゃない人にとっても居心地の良い会社だと思います。みんなフラットですし上下関係なく意見を言い合うことが日常になっていますね。しかし仕事となるとみんな気持ちを切り替えて、緊張感を持ってやっていると思います。
そして、何よりも社員思いです。堂垣社長は社員をとても信頼していて、また本気で社員の成長を願っているので、元々あるポジションに対しての適材適所というより、その人のために新しいポジション=適所をつくってくれます。社長がそのような考えなので、ワーキングスタイルは柔軟で変化に対してポジティブなのだと思います。これまでいろいろありましたが、会社がある限り自分はずっとワーキングスタイルで働くつもりです。